黒く滲む紅天を逆さに、零れ落ちた露をひらう
無意味が抜け落ちてエアーを纏う。
幸運を訝しがる人の群れに落ちる極小の針を飲み込みながら階段の縁に指を掛けてリズミカルに駆け上がる豚どもの耳に、吐瀉物の中で蛆虫が身を捩る音が鳴っている。
馬鹿馬鹿しいな。
気味の悪い色の靴を履いてカビたコンクリートみたいな体躯を精一杯縮こませる男も、作り物の薔薇で毎日身体を洗っているような鄙びた女も、どいつもこいつもセンスの悪い耳栓を突っ込んで四方八方に散る馬鹿の欠片を必死に集めてら、自分の踏んでいる地の形にすら気付かないだろう。
れんじゅうには毎日落胆させられて気が沈むけれど、それすら希望と思える程本当のところひとつかけらとて残されていないはずなのに毎夜毎夜満たされて恍惚と眠れる君達を僕は小便器の底から見上げているよ、一生。
寝樹は玄関から出られずの話
そこらへんに転がっている悲劇にも主役が居る。その中から一つを私なりに書きたいと思う。
彼、または彼女はよく他人の目を気にするのをやめたいと漏らしていた。言葉には必ず裏がある、私はそれをどれだけ重篤なものか計り知れずにいた。
春夏秋冬の境目を感じる日には必ずそれについて話していたのをよく覚えているが、ある時は食事としてある時は愉悦の娯楽として、消費し排泄しているのを見て一時凌ぎに安堵したものだった。
人当たりが良く、不快を与えぬよう努めていたその人のそれを不思議に思うことは無かったがしかし結局私の、いや殆どの人の想像より遥かに強いものだったのだろう。
ある日の朝、消息を絶ってしまったのだと知った。
絶ってしまった、のだ。
私にはすぐにそうだと分かった。
自らの行動であると。
残された手掛かりから彼、または彼女を探し出そうとする者が現れて2日後にはあちらこちらで葬式の形をした儀式が行われた。
その儀式は知られぬ教義に満ちていたが仕切る僧によれば、祈り(祈りというよりは最早呪いに近かったが)によって死は破片の一つ一つにまで染み渡るのだという。
残された破片たち、つまりは我々一人一人に彼女、または彼の死を共有させるものなのだと。
私がまだ見ぬ死について触れたのはこの時が初めてであった。
それは痛みのない肉体と痛みに満ちた精神体による所有権の争いである。
複雑な過程を踏みながらも争いは儀によって進められて一年、二年、十年と続いた。
過ぎた十年の間に数百に膨れ上がった葬式はある日一つの号令と共に一堂に集められる事となった。過去に類を見ない規模のユニオンである為、興奮を抑えきれぬ者たちによる舞踏がテレビでも報道されていたので君達にも覚えがあるかもしれない。
そして来るその日、私は参列者としてではなく、本来の面目よりも過大な立場として列席の先頭に配置されるはずだった。
しかし悲劇たるやまさにこう呼ぶしかあるまい。
コロナウィルスの蔓延により大集会は中止となったのでした。
おしまい。