なすすべ

私の家の目の前にある中華料理屋は全テーブルに黄ばんだ灰皿が置いてある。

あと一歩で壊れる椅子に座ってタバコに火をつける。

NHKがけたたましい。

真っ黒なエアコンから異常に冷たい空気が吐き出されている。

短くなるタバコに宿る時の中で腐った水道水を飲む。

二度注文を聞き質されて、たった一人分の食事を待つ間、目の前にあった人の姿を透かして外を眺めていると大きな音をたててバスが到着した。

乗り込む人が永遠に去る。

私ももうすぐ去る。

ここに来ることも二度と無いだろう。

そしてなすすべなく記憶からも消える。

彼女が好きだったラーメンが湯気を立てている。

黒く滲む紅天を逆さに、零れ落ちた露をひらう

無意味が抜け落ちてエアーを纏う。

幸運を訝しがる人の群れに落ちる極小の針を飲み込みながら階段の縁に指を掛けてリズミカルに駆け上がる豚どもの耳に、吐瀉物の中で蛆虫が身を捩る音が鳴っている。

馬鹿馬鹿しいな。

気味の悪い色の靴を履いてカビたコンクリートみたいな体躯を精一杯縮こませる男も、作り物の薔薇で毎日身体を洗っているような鄙びた女も、どいつもこいつもセンスの悪い耳栓を突っ込んで四方八方に散る馬鹿の欠片を必死に集めてら、自分の踏んでいる地の形にすら気付かないだろう。

れんじゅうには毎日落胆させられて気が沈むけれど、それすら希望と思える程本当のところひとつかけらとて残されていないはずなのに毎夜毎夜満たされて恍惚と眠れる君達を僕は小便器の底から見上げているよ、一生。

小ベンキズムを模したザメンホフへの手紙

幾つかのルールのうちの一つが人格的な軽蔑を向けられた際の反射的な反応についてだ。

また別である不可思議についてのガイドラインは別項目だがデモクラシーとキャピタリズムとはとどのつまり殺戮ショーによって引き起こされる悲喜交交を内包したエンターテインメントであり、私はそれらを凝視出来ないのです。

身を焦がすほどの恋ですら同じく。

我と彼等の間に慄然と存在する境界は腐りかけてしまってね…

春は曙。水は幻。

如何なる個人的集団的社会的要因であろうと自由な発言、行動や意識の決定に半歩でも踏み込まれる事に人よりも何倍も何万倍も気を使ってきたしこれからも永遠に自由決定をする為にであればそれら要因全てに対して否を突き付けるのが私のアイデンティティであります。

そもそもそれを踏まえた上であっても基本的に攻撃的であったり理外の行動は選択していない自信があるのですがそれでも恣意的な受信は避けられないのが公の場での発言であることも重々承知の上、全て包括してわたくしの自由は誰にも飼われたくないので少々ガキっぽい真似をします。

塩田

暑いが、日が出ていたらマシか。

ソビエトポップ。

ストパンクからポストを取ってもパンクでない、残るのはアンチ商業的なアートイズムだ。

今日それについて説明を失敗した。

つまり、幽霊画と幽霊の違いについて存在の意味を取り違えてしまったのだ。

例え話によって遠ざかってしまったそれを掴まえられずに朝方の陽を待つ。

寝樹は玄関から出られずの話

そこらへんに転がっている悲劇にも主役が居る。その中から一つを私なりに書きたいと思う。

彼、または彼女はよく他人の目を気にするのをやめたいと漏らしていた。言葉には必ず裏がある、私はそれをどれだけ重篤なものか計り知れずにいた。

春夏秋冬の境目を感じる日には必ずそれについて話していたのをよく覚えているが、ある時は食事としてある時は愉悦の娯楽として、消費し排泄しているのを見て一時凌ぎに安堵したものだった。

人当たりが良く、不快を与えぬよう努めていたその人のそれを不思議に思うことは無かったがしかし結局私の、いや殆どの人の想像より遥かに強いものだったのだろう。

ある日の朝、消息を絶ってしまったのだと知った。

絶ってしまった、のだ。

私にはすぐにそうだと分かった。

自らの行動であると。

残された手掛かりから彼、または彼女を探し出そうとする者が現れて2日後にはあちらこちらで葬式の形をした儀式が行われた。

その儀式は知られぬ教義に満ちていたが仕切る僧によれば、祈り(祈りというよりは最早呪いに近かったが)によって死は破片の一つ一つにまで染み渡るのだという。

残された破片たち、つまりは我々一人一人に彼女、または彼の死を共有させるものなのだと。

私がまだ見ぬ死について触れたのはこの時が初めてであった。

それは痛みのない肉体と痛みに満ちた精神体による所有権の争いである。

複雑な過程を踏みながらも争いは儀によって進められて一年、二年、十年と続いた。

過ぎた十年の間に数百に膨れ上がった葬式はある日一つの号令と共に一堂に集められる事となった。過去に類を見ない規模のユニオンである為、興奮を抑えきれぬ者たちによる舞踏がテレビでも報道されていたので君達にも覚えがあるかもしれない。

そして来るその日、私は参列者としてではなく、本来の面目よりも過大な立場として列席の先頭に配置されるはずだった。

しかし悲劇たるやまさにこう呼ぶしかあるまい。

コロナウィルスの蔓延により大集会は中止となったのでした。

おしまい。

脇目も振らず

欠伸をしている自分を客観的に見るための準備として、まずブルーライトから身を守る必要がある。逆光により薄い紙きれですら浮き上がる為だ。

そこで私は160円を軒下に投げ込んだ。

蜥蜴が咥えて運んだ先に件の鏡があるということは昨日の雨によって明らかにされている。

案内人、この場合案内虫と呼ぶべきか、に手を引かれ鏡の前に立つと白い虹と呼ばれる干潟に列をなすトウモロコシの群体を見た。

驚き振り返ると膝丈まで積もる雪。

それは全て短冊だったのだけれど、真実より大事なのは光の反射だと陶酔に耽る。

サクサクと小気味よく本日の目的は達成されました。

早くに起きた朝にしか出来ないのです。