連続性について
エネルギーの処遇に困りはしないか。
エッセンスの話だけどね。偶にあるだろ?
ビタミンとの言語的な関わりについて私が誰にも相談しないのと同じくらい飾りは不自然だが彩りは自然だ。君達が後者を選んで過ごせることを心から祈っている。
さて、ご挨拶。最近の私は毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、憎しみで腹を満たすカタツムリである。
ろくな食事も摂らず、ろくな睡眠も摂らず、日がな薪割りを繰り返して倍々に増えるそれらをくべているのだ。
当て擦りか、一丁前に活動する脳カバーである身体部品達は命令系統をとうに離れているし間違いなく紛い物の贈与スポーツ競争には嫌味すら無い。
物の捉え方は大きく変わった自覚がある。
よからぬ環境でしか生育しないそれを持つ故今更腹の立ちようも無いのだれど、ますます止めどなくバクテリア的な解釈は進行している。
元々の気質として二元以上の物事を論ずるのを嫌うところがあるわけだが、加えて分解者的な立場で採れば枝を見るのもバカらしいだろう。
そして肩肘をついて夕暮れを見送ると、私だけがそこに残ることが出来る。次第にポロポロと崩れるミートキューブの中から浮かぶ内臓、赤い水溜り。
こいつのすえた匂いを感情と呼ぶことも出来る。
代償としては等価だろうか。
身体の痛みと精神の痛みを比して論ずる趣があるが、やはり身体の痛みの方が日進の中では切実だ。マジ首痛ぇ。
2/22、吉祥寺から帰り。
大変な感謝の意を込めて。
Nebula2周年ありがとうでした。