香に迷う、蟹魔導

私は昔から嘘つきである。

自覚の上に塗りたくる恥について赤面する夜を幾度か越えて嘘は技術を帯び、遂には私のアイデンティティとなったのです。

私の生まれた1940年10月11日の六花市では世代間闘争のクライマックス真っ只中であったという。

激しい怒号の飛び交う中、15年程親しんだ母の子宮からその死と共に産み落とされた3億の卵のひとつである私はすぐにエンケラドスの雷として降り注いだ。

299999999の兄弟はリンゴの種をかじり昆虫の体をなすが、私はその姿を後に醜いと感じるであろう確信からインフォメーションの成れの果て、3キロの氷の下にあるエウロパを目指す。

さてこれより私の双子について騙る事にしよう。

わたしには双子がいないのだけれどそれは中指だけが異様に長いスレッド化された情報のような女性で、頭から爪先まで複数の図形で出来ている。(それを特殊であるような形で書いたものの通常物質はそのように構成されているのだとの指摘をされて恥をかきたくはないのでそれは既知であると記しておく。このように私には恥をかきたくないという強い脅迫観念にも似た異様な程の執着がある為に数々の失敗をしてきた。今回はそれについて詳しく書こうと思う。まず最初に思い出されるのは一つのターニングポイントでもあろう「指揮者」の話である。ある日大きなホールにて行われた小さな都市が有する楽団によるフルオーケストラを見ていた子供の自分は、大きな音と揃いのお洋服に魅力を感じて陶酔していたのですがその中途、コミュニケーションのお時間に指揮の戯れが行われたのです。酷く可愛いわたくしのことですから無邪気に壇へ上がり、無茶苦茶に指揮棒を払いました。

(【指揮棒の歴史[参照Wikipedia

バロック時代は、杖(指揮杖)を地面に打ちつけその音でテンポをとって指揮していた。

 

史上初めて、現代の指揮棒につながるものを用いて指揮をしたのは19世紀初頭のカール・マリア・フォン・ヴェーバーや、ルートヴィヒ・シュポアと言われている。


当初、指揮棒は巻き紙が用いられ、後に魚の骨(メンデルスゾーンが愛用)や樹皮をはいでいないリンデンの枝(ベルリオーズが愛用)、その他指揮者の個人的趣味で、ブリリアンカットのダイヤモンド付きの指揮棒、カエデに純金と宝石をあしらった指揮棒などが登場した。


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の2代目の指揮者として歴史上有名なアルトゥール・ニキシュ1855年10月12日-1922年1月23日)は指揮棒の先が常に目の高さに来るように指揮し、奏者達の注視する先に己の目が来るようにしていた。カール・ベームも同様であった。また、シカゴ交響楽団の基礎を築いたフリッツ・ライナー(1888年12月19日-1963年11月15日)は、指揮棒をわざと小さくしかも下の見難い位置で振ることにより逆に団員の注意をひいたそうである。カラヤンも短い指揮棒で小澤征爾に影響を与えたが、現在の小澤は ニコラウス・アーノンクールヴァレリーゲルギエフピエール・ブーレーズらと同様、棒なしで指揮をしている。


20世紀前半までは現在使われているものより長い指揮棒がよく使われた。ピエール・モントゥーやブルーノ・ワルターといった19世紀生まれの大指揮者の映像をみると、明らかに長い指揮棒を振っているのが分かる。現在はロシア系の指揮者:ユリ・アロノヴィッチやマクシム・ショスタコーヴィチなどが良く長い指揮棒で指揮している。

四管編成以上の大編成やグランド・オペラの指揮の時に見やすいと言われている。】))

まだらに飛び火した紫色の斑点を見た継母が私を捨てる事を恐れて逃げ出した。

それから延々と続けられる耳鳴りの中で私を呼ぶ声により4次元の中にいて酷く3次元を強いられているわけだ。

悲しくはないがひどく落ち込む時もあるけれどきっとそれは私がシリアスなせいではなくて馬鹿騒ぎする美し好きのれんじゅうのせいなので気にはならない。